働く子どもたちの協力者 ロランド・ウィレム・デラノワの生立ち

ロランド・ウィレム・デラノワ
勤務地:アプリマック県アンダワイラス市
45歳・独身

幼い頃、私は母と兄弟の合計10人で暮らしていた。幼い頃は貧しさしか知らず、食べるものがないことも何度もあった。父は他に妻がいたため、母と兄弟を捨てた。私が7歳の時、母はガンで亡くなり、私たちは孤児となり、 私は家族を助けるために働きに出なければならなかった。私は兄と一緒にカンチータ(とうもろこしを炒った菓子)を仕込んで街頭に売りに出かけたが、食べるものがないことが何度もあった。しかし、私が路上で働いているのを見た人たちが、「あのかわいそうな少年を見ろ」といつも私をからかったことも覚えている。

その翌年、私たちはアンダワイラスで働いていたベルギーからの家族に出会った。彼らは家族全員をとてもサポートしてくれ、私たちは勉強を続けることができた。私は末っ子のトーニョとすぐに仲良くなり、彼のおかげで数年後には家族の一員となり、私の人生は一変した。人生がそこで終わりでないことを理解した。多くの場所や国を知り、高校を卒業して高等教育を受けることもできた。

私は血のつながった兄弟姉妹との連絡を絶やすことはなかったし、彼らは常に私の新しい家族からサポートを受けていた。

 

21歳のとき、長年リマに住んでいた父に連れられてアンダワイラスに戻った。父はプロアンデ(アンデス振興開発センター)というNGOで働いていたからだ。 そこに着くと、働く子どもたち(NATs)のプロジェクトがあった。それを見たとき、自分の子ども時代の思い出がたくさん蘇り、労働者としての子ども時代がそこに映し出された。そこで私は彼らに声をかけ、少しずつ教育者たちと話をするようになった。彼らと初めて一緒に仕事をしたのは、彼らに水泳を教えたときで、私は彼らに水泳を教えることができたことをとてもうれしく感じた。その後、スポーツのサポートを頼まれ、U14とU16の2つのカテゴリーでユース・サッカー・リーグに参加した。

少しずつ絆が深まり、私は彼らを理解し、路上や職場で一緒に過ごす時間が増えていった。

そして2000年にプロジェクトをはじめ、学校外の教育者として、人生の新たなステージをスタートさせた。2年後、イフェハント(IFEJANT /Instituto de Formacionpara Educadores de Jaovenes,Adorecentes NiñosTrabajadores de America Latina y el Carib・働く子どもたちの協力者養成機関)の基礎コースを受講し、そこで私は子どもたちの世界が大きく変わり、自分の仕事が重要であることを理解した。

 

私はペルーの社会運動についてもっと知るようになり、初めてMNNATSOP(ナソップ、Movimiento Nacional NATS Organisador Peru/働く青少年子ども全国運動)の全国代表の話を聞いた。そのうちの一人(リザンドロ・カセレス)の話を聞いたとき、私はとても感銘を受けた。私は、アンダワイラスにも代表が必要だと言った。

2005年、NGO Huñuq Mayu(Unión de ríos)に参加し新たな仕事を始めた。すでに組織的な仕事についての知識はあったが、私は、主役は成人ではなく、子どもたちであることを理解していた。そこで2008年、ナツップの全国協力者であるカルロス・シルバ・フローレス氏の招きと、本部の代表団の調整により、私たちは全国会議に招待され、その時から今日に至るまでナソップに参加し続けている。

そして2011年、NGOはNATs(働く子どもたち)との活動を停止することを決定し、私たちは追い出された。NATsの組織化をする過程で、私たちはこの組織に対し多くのことを成し遂げたが、彼らは私たちの活動をまだまだ評価していなかった。その後、私たちは路上の子どもたちや、すでに結成され組織化されていた子どもたちのほぼ全員と話し合った。 アンダワイラスに住んでいた、私たちのグループを知っているオランダ人の友人たちが2013年から私たちを支援してくれることになった。私たちの図書館がある建物の費用を負担してくれた。

代表者のトレーニング開始

2012年のMNATSOPナソップナショナルミーティング、では、代議員や協力者の方々の支援のおかげで、私はナソップのナショナル・コラボレーター(協力者)に選出され、3年間この役職を務めた。ナソツプ・ハウスに住んでいた3年間は挫折もあったが、この役割を果たすことができたと思う。新しい友人と出会うことができ、ナソツプ・ハウスに活気を与えることができたことに感謝している。

今振り返ってみると、私は22年以上にわたってアンダワイラスで働く子どもたちの運動に帯同してきたことに気付かされる。組織が強化され、ラテンアメリカの代表であるモナルナッツのメンバーになったことを光栄に思う。2002年に始まったこの夢が、2021年にリマで開催された全国大会で達成されたことは、計り知れない幸せである。

パンデミック中の働く子どもたちの家でのサポート

私がNATs(働く子どもたちの運動)に参加する理由:

私は組織に属さない働く子どもであって、子どもの頃から貧困に苦しんできた。だから私は、働く子どもたちとともに仕事することが人生にとって非常に重要なことだと理解している。それは、彼らの生活や家族に別の解決策を与える手助けをしたり、 働く子どもたちを悪者として見る社会の見方を変え、彼らの働きが評価されるべきだと理解を促進させるためだ。 社会で認知されることが、路上での私の日々の闘いである。

彼らが学校で良い成績をとったり、代表になったり、クラスメートをまとめたりする姿を見ることは、私にとってとても嬉しいことだ。彼らの生活を常に意識し、彼らが笑ったり、怒ったり、泣いたりするのを見たり、親同士の喧嘩に付き合ったり、親が子の言うことを聞き、子を尊重してくれることを知ったりすることは、 私の仕事が良いものであると感じさせてくれる。

働く子どもたち青年たちは、国を変えるための多くの手段を持っている。彼らの中には無邪気な部分がたくさんあるし、家族を養うために外に出る毎日には苦労も多い。教育、健康、労働にもっと投資しなければならないことを当局が理解するようになれば、この国は変わると私は確信している。この3つが国を変え、より人間らしい国にするのだ。

今、私は、組織で長年にわたり、多くの子ども達に寄り添ってきたが、働く子どもだった人たちの息子や娘たちに協力者として寄り添い続けるという使命を持ち続けている。そして、元働く子どもである親たちが私たちの図書館を訪れ、「息子や娘を連れてくるので、教育や育成を手伝ってほしい」と言うのを見ると、私は喜びでいっぱいになる。私がこの図書館に来たのは親たちが息子や娘の面倒を見るためと同じだ。私が来た頃は座席やベンチがなかったから、ただ木の上に座っていた。今はテーブルやベンチがある。この使命を幸せに思っているから、私はまだ独身で家庭を築いていないのかもしれない。

現段階での働く子どもたちの状況は、彼らはたくさんの暴力、人身売買、ギャング、アルコール中毒、薬物中毒など多くの問題を抱えた社会で生活しており、常に危険にさらされている。だからこそ、私たちは警戒しなければならない。 働く子どもたちの大多数は貧しい家庭の出身で、母親と2人だけで暮らしていたり、親が安定した職に就いていなかったりする。ケチュア語(母国語)を話すという理由で疎外されている親も多く、人種差別もいまだに多い。

組織の一員であることは、研修ワークショップやさまざまな専門家の招聘など、彼らの精神衛生に大いに役立っている。この組織は長年にわたり、アンダワイラス郡のアプリアマック地域で非常によく知られており、私たちはアプリアマック県の貧困との闘いのテーブルの一部となっている、 アンダワイラス地方では、様々な組織間グループを結成しており、私たちは同地域の参考人となっている。

この20年間で、暴力は変化し大幅に増加し、子どもたちが社会問題にさらされることも多くなった。その一方で、以前は大人のものであった場所を、組織的に占拠することに成功し、今では活動に参加し、指導するようになり、州政府から考慮され、認知され、評価され、当局も組織を尊重するようになった。当局は組織を訪問するときには覚悟が必要だと知っている。なぜなら、自分たちの闘いや 組織化された働く子どもたちグループとしての立場を明確にしている子どもたちや青年たちに出会うことになるからである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA