ペルーの働く子どもたちの生活〜クリスティアンの場合〜/2009年4月

クリスティアン 14歳

クリスティアンは小学校3年の時に学校に通うのをやめた。
家を訪ねると、乾燥した唐辛子の山を前に黙々と作業を続ける母親のアメリア(54歳)がいる。その脇では、子豚やニワトリに交じって、生後1か月位の子猫が3匹チョロチョロと動き回っている。

「あぁ、この子たちはねぇ、ゴミ溜めの中に捨てられていたのを娘が拾って来たんだよ。この子たちにだって生きる権利があるんだからね。」子猫たちは、所々傷を負っているが、家族から大事に扱われているせいもあってか怯えた様子はなくのんびりとくつろいでいる。

「乾燥した唐辛子は、知り合いの人が運んでくるの。こうやってね、中から取り出した種を集めておいて、持ってきてくれた人に戻すのよ。」

母親は、朝6時に起床後、簡単に身繕いをして朝食を済ませるとすぐに、唐辛子の柄を切り取り、種を取り出す作業を始める。大体、1週間働きづめで、80~90キロの唐辛子を剥くことができる。種を取り出した唐辛子は1キロあたり1ソルで買い取られる。月の収入は200~250ソーレスになるが、もちろん収穫のない時期にはこの仕事は回ってこない。他にソラマメの皮むきなどの仕事も依頼されることがある。

「こうやって、唐辛子を剥き続けると指先がひりひりしてくる。子どもたちはそれを嫌がってあまり剥きたがらない。私だってもちろん痛いけど、そんなことは言っていられないからね。」

飼っていた豚が出産、最初の2匹を生み下ろした後、残りの5匹をおなかの中に残したまま死んでしまった。生まれた直後に母親を失った2匹の子豚を不憫に思った母親は、その2匹を自宅に連れ帰り育てることにした。
「豚だって生きる権利があるからね。普通に残飯を食べられるようになるまでは、毎日牛乳を買ってきて飲ませたよ。ほんとにお金がかかったけどね。」

母親は、娘のフィオレラ(10歳)に子豚をきれいに洗ってあげるように指示した。子豚はいつもきれいに洗ってあげないと病気になって大きく育たない。
豚のエサは、近所からもらいうけた残飯をバケツに貯めておき、朝晩二回、自宅うらの岩山に作られた豚小屋まで運ぶ。

クリスティアンと妹のフィオレラは、残飯と水を豚小屋に運ぶ作業を手伝うが、最近7匹の子豚を出産したばかりの母豚に餌をやることはない。子豚を守るために警戒心を強めている母豚は、心を許しているクリスティアンの母親以外が小屋に入ると噛みついてくる。
豚のエサを盛る皿は、タイヤを縦に割って半分にしたものが使われている。豚は何故か、食事が盛られるそのタイヤの上を排便場所と決めているようで、タイヤ付近は糞尿まみれであった。

小屋の中に入った母親は、何を気にするでもなく、タイヤの中の糞尿を手ですくって取り出した後、わきに置いてある雑巾でタイヤを丁寧に拭き始めた。そして、クリスティアンから残飯の入ったバケツを受け取ると、タイヤからこぼれないよう丁寧にエサを盛りつけた。
豚小屋は、家族や親せきの手で岩を一つ一つ積み重ね、時間をかけて作り上げた。

豚は1年くらいで売り物になる大きさに育ち、一頭当たり250~300ソーレスくらいで買い取ってもらえる。家族や親戚が病気にかかるなど急にお金が必要になった場合は、母親自身が豚をさばいて料理し、近所の人に売ることもある。
豚小屋の入口付近には、同様に岩を積み上げて作られた小さな部屋があり、その中には簡素な寝床が用意されていた。
夜中に豚を盗まれないように、住居を持たない男性に泊まってもらい見張り番をしてもらっているのだ。
「時々、上の崖のほうから恐ろしい声が聞こえることがあるよ。あれは、きっと妖怪に違いないね。」

妹のフィオレラは、現在小学4年生。今までに一度、留年を経験している。フィオレラは街の公立小学校に通っているが、教科書代の13ソーレスが払えるまで学校に来てはいけないと担任の教師に言われたため、今は学校に通っていない。

制服も買えない。スカート16ソーレス、ブラウス6ソーレス、ネクタイ2ソーレス、体操服32ソーレス。

「去年の絵の具代10ソーレスも払えと言われているんですよ。プリント代、筆記用具、学校の掃除婦への支払い。学校が無償だなんてとんでもない、何をするにもお金ばっかり要求されますよ。教科書代の13ソーレスだって、この唐辛子剥きのお金が土曜日には入るからその時に支払うって言っているのに、先生たちは全く理解してくれない。いったい、どっからお金を引っ張りだせばいいって言うんですか?」
クリスチャンが話始める。

「月曜から金曜にかけて働く、土曜日はたまに働き、日曜日は働かないようにしている。働いたお金のほとんどは自分の身の回品やおかしを買ったりするのに使うが、たまに1ソル、2ソーレス程度を母親に渡す。僕の友達も働いている子がいるよ。
前は一緒に働いていた時があったけど、今はもう働いてない、どうしてかは分からないけど。
前の学校に通っていた時も働きながら勉強していた。それから一時期学校に通うのをやめて働いてばかりいた。そこの学校で働いている子どももいたけど、ほとんど飴玉を売っているていどだったね。」

父親は同居しており、時折左官の仕事などを見つけては出かけるが、アルコール依存症で経済的にはあまり期待できない。(1ソル = 32円 2009年4月時点)

「取材雑感」クシ・プンク 義井豊

人権侵害問題で 25 年の求刑を受けたフジモリ元 大統領が政権を担っていた 90 年代、彼はアメリカの影響とIMFの強い指導でいわゆる新自由経済政 策を積極的に推進していく。あれからほぼ 20年が過ぎた。国家の暴力装置を総動員していわゆるテロリスタを一掃し「明るい消費競争社会」の建設に成功していく。

欧米から流入した資源開発資金は、銀行の建物を近代化させ、消費をあおるデパートは、クレジット販売を促進させて人々をお金で幾重にも縛ってい く。

国家の安全と優雅な生活を獲得したごく一部の層は、しかし、決して立ち上がれないかのような貧困層を置き去りにして、いや、無理やり引きずるよう にしてその労働力だけを利用して進み、擬制の国家の維持成立に奔走する。置き去りにされた子どもたちはまるで悲劇性を表向き見せることもなく屈託 がない。けれど未来を見つめる視線が哀しいほどに弱よわしい。

クリスティアンは字がかけない。書けるかもしれないけれど書こうとしない。働いているときの集中力はすごい。10キロ近くの豚に食べさせる残飯を担いで、丘の急斜面を登る姿は13 歳にはとても見えない。

でも、教室では散漫な落ち着かない子どもに代わる。仲間たちとはしゃぎ続ける姿はごく普通の子どもだ。酒飲みで家に戻らない親父を限りなく待ち望んでいる。

絶望を口にはしないその視線は、母親の言葉とどこまでも交差して交わらない。母親を支える彼の寡黙が、自分を支える唯一の武器のようでもある。

家族から物理的・日常的に姿を消した父親は、社会の底辺で這いずり回っている姿を子どもに見せたくないのかも知れない。しかし子どもたちの眼差しは鋭い。

父権の存在しない家族を支えるのは、個性の強い母親。母親は子どもを頼りにする。子どもの心根の中には父親が強く意識されている。父親を探しながら自らが強い存在に日々変貌していく。その強さは犯罪に向けられるか変革に向けられるか誰にもわからない。

果たして、今のペルーの環境の中で貧困からの離脱ができるのか・・・。鍛えられた哀しみと、無形の象徴にもみえる子どもたちの寡黙と涙が、子どもたちの未来を創る。

 

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