『Gracias por Todos y Todas. 〜大好きな、大切な、こころの家族たちへ〜』① 本当に来ちゃった、ヴィジャ・エル・サルバドール!再び、アレナ・イ・エステラスへ (ヒッキー Noromita ふみ)

『Una vez mas, Villa El Salvador!  Una vez mas, ”Arena y Esteras”./
本当に来ちゃった、ヴィジャ・エル・サルバドール!再び、アレナ・イ・エステラスへ』


ヒッキーの
体験談②→『Gracias por Todos y Todas. 〜大好きな、大切な、こころの家族たちへ〜』② 「ここ」での生活の、始まり。
体験談③→『Gracias por Todos y Todas. 〜大好きな、大切な、こころの家族たちへ〜』③ 保育園での日々


 

今回2度目ましてとなる、ペルーはリマの”Villa el Salvador (ビジャエルサルバドール)” 。

個人ボランティアとして一緒に活動したいと切望し、叶った再びの訪問に、私は緊張と興奮でふわふわと宙に浮くような、まったく現実味のない感覚に包まれていました。

これから3か月、ここで暮らし、彼らの活動に携われるのか・・・

頭では考えることができても、自分の身に起こることだということを、あまりしっかりと実感していなかったように思います。

・・・飛行機の時間が長すぎたせいかもしれません(笑)

確かに日本からペルーは、飛行機で丸1日かけてやっとたどり着ける距離。

地球で考えたらほぼほぼ裏側の、「物理的に遠い国」なのですから。

なぜ私が、2度目となる此の地にやって来たのか。

それは、Villa el Salvador(ビジャエルサルバドール。以降Villa)に根を下ろし活動しているあるNGO団体で、ボランティアをさせてもらうためでした。

団体の名は、「Arena y Esteras(アレナ・イ・エステラス)」
政府の支援を一切受けず、“市民のちから”で運営している団体です。

Arena y Esteras 正面全景

下は7歳くらいから上は20代中盤~後半まで、少年期・青年期の子どもたち、若者たちが集い、演劇・楽器演奏・伝統舞踊・ダンス・大道芸・アクロバットなどなど・・・ 多彩な表現活動を、国内外で幅広く行っています。

社会に対するメッセージをArte(アート)に込めて、乗せて、活動する芸術文化団体。

それが、「Arena y Esteras(アレナ・イ・エステラス)」(以降 Arena)です。

Arenaに初めて出逢ったのは、2013年の1月。

『地球一周の船旅 ピースボート』で海を渡っていた、その旅のちょうど折り返しの頃のことでした。

ピースボートは、30年前に当時早稲田大学の学生だった若者たちが立ち上げ、成長を続けている国際NGO団体です。その船旅は、「自分の目で見て、耳で聞き、肌で感じて世界を知る」という信念が源流となって生まれています。

その想いは創設から現在まで変わることなく根底に流れ続けており、船旅で訪れる国(港)ごとに用意されているオプショナルツアーにはほぼ必ず、現地の人々と生身でふれあう交流ツアーや、土地ごとの歴史・文化・現状を学ぶことができる検証見聞ツアーが用意されています。

私が参加したのは、アフリカ大陸や南米大陸など、南半球の国々を巡る旅で、観光にはあまり興味の無かった私は、訪問した8割以上の地域で、交流もしくは検証見聞のツアーに参加しました。

特に南米は、それまでテレビや雑誌の情報から想像することでしかできない、ほとんど未知の世界だったので、せっかく行くのに観光で終わらせるなんてもったいなさすぎる!と、最初からかなり意気込んでツアーを選んで行ったのを憶えています(笑)

オプショナルツアーは事前申し込み制となっていて、乗船の半年前ころになると参加者のもとにツアー紹介冊子が郵送されます。
その冊子が届いた瞬間、即行でページをつぶさに読み進めていった私は、中でも特にある3つのツアーはなんとしても参加したい!と、申し込みを決めました。

いえ、もうその時既に、概ね感覚的に行けると確信していました。それほど、当時の私にとっては運命だと感じるほどに、強く惹かれたツアーだったのです。

ひとつは、南アフリカ。
アパルトヘイト時代に差別によって生まれた旧黒人居住区で、音楽を通して子どもたちに明るい希望と未来を想像(創造)してもらいたいと活動する、市民オーケストラ楽団。

ひとつは、ブラジル。
国内最大のスラム「ファベーラ」で、パーカッションやダンス、音楽ライブを通して、子どもや若者たちに、犯罪に手を染める以外の生き方を伝える、パフォーマンス団体。

そして、ペルー。
武装テロ組織が横行していた時代、家族や友だちを亡くした子どもたちに笑顔を取り戻すため、また、言葉のわからぬままテロに巻き込まれ亡くなっていった先住民・ケチュアの人々の顔や声(代弁者)となるため、芸術により革命を起こそうと立ち上がった、芸術文化団体のArenaです。

Villa el Salvadorの風景

3つに共通していたのは、音楽、子ども・若者、表現活動。

元々小さなころからダンス、演劇に心ひかれることの多かった私は、大学の同好会で道具を使ったダンスをしていた経験や、旅に出る1年ほど前に参加した、NPO法人コモンビート(以降コモンビート)主催のミュージカルの舞台経験が、まるでさも当たり前のように、この3団体に繋がっているように思えてならなかった。いえ、私の根底に流れる何かが、この3団体を引き寄せ、引き合わせてくれているように感じました。

なんとも不思議に感じたものです。

南半球の航路を選んだこと、そもそもピースボートに出逢ったのも、元をたどればミュージカルを主催するコモンビートとの出逢いがきっかけですし、さらに元をたどれば、コモンビート主催のミュージカルに出演するきっかけとなったのは、大学時代同じ同好会でともにダンスをしていた仲間からの誘いがあったからなのです。

まるで大きな流れ、波に乗るようにピースボートの船旅に参加した私は、文字通り波に乗って(笑)、ペルーの地を訪れました。

そして、Arenaと出逢ったのです。
ピースボートでの滞在は1泊2日でしたが、私には全く時間が足りませんでした!(笑)

団体の活動、想いも、団体に集まる人々、若者たち、子どもたちも、団体が根を下ろすVillaという土地も、本当に興味深く、おもしろく、私には非常に刺激的でした。

短い滞在時間中に彼らが魅せてくれたパレードやワークショップは、人を楽しくさせ、一緒の渦にポジティブに巻き込んでゆく気持ち良さ、快さがありましたし、特別に上演してくれたショーは、その身体能力と表現能力の高さに本当に驚き、彼らのプロ意識の高さを感じました。驚きと興奮と、尊敬と共感が入り混じるひと時でした。

Arenaのツアーは、旅行会社ジャパングレイス・スタッフの女性も訪問をサポートしてくださったのですが、その女性、岩崎由美子さんは、やけにArenaの人々と仲が良く・・・。
気になったので聞いてみると、彼女は以前、Arenaでボランティアとして活動していたことがあるとのこと。
岩崎さんは一定期間リマ市内のアパートを借りて住まい、Arenaと、もう一つ別の子ども支援団体と、2つの団体のボランティアを同時並行で行っていたそうなのです。

Arena y Esteras アトリエのある路地

私は期待を込めて、「Arenaは個人ボランティアを受け入れてくれるんですか?!」 と質問しました。

答えは、Si!(スペイン語で Yes!) 

船がゆっくりとペルーの地を離れてゆく時には、「私はもう一度ここに来よう」と心に決めていました。

帰国後、ピースボートスタッフの計らいで、船旅にゲストとして乗船してくださった元共同通信のフォトジャーナリスト・義井豊さんに再びお会いする機会を得、単独でArenaでの活動に参加したいと意志をお伝えしました。

義井さんは長年ペルーを拠点に活動しておられ、ペルー国内の様々な個人・団体に多々縁をお持ちでしたが、そのひとつにArenaも含まれていました。
義井さんは快く橋渡し役を引き受けてくださり、本当に細やかなサポートで、私とArenaの代表の方との間を取り持ってくださいました。

少しづつ、資金を集め、航空券を手配し、ワクチン接種を済ませ・・・約2年近くかけてゆっくりゆっくり準備を進め、遂に2015年4月2日、ほぼ丸一日かかったフライトの末、私は再びペルーに降り立ちました。到着した時はもう深夜0時を過ぎていたので、Villaには次の日の昼下がりに移動しました。 

こうして私の、Villaで、Arenaで、過ごす日々が始まったのです。

続く・・・
→『Gracias por Todos y Todas. 〜大好きな、大切な、こころの家族たちへ〜』② 「ここ」での生活の、始まり。

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