カハマルカでのマントック校でのレポート(工藤瞳)

MANTHOC マントック・カハマルカの学校
「ヘスス・トラバハドール」校紹介

 ペルーの首都リマからバスで約16時間、飛行機で1時間の北部山岳地帯にカハマルカという街があります。カハマルカはインカ帝国の皇帝アタワルパがスペイン軍に捕らえられた歴史的な街であり、現在は酪農が盛んなほか、鉱山開発が進んでいます。鉱山開発は国に莫大な富をもたらし、雇用を生む一方、採掘地の環境を破壊するため、ペルー国内でも議論が二分されています。特に地元では反対運動が起こっています。

 ペルー北部の山岳地帯に位置する街カハマルカには、「働く子どもの運動(マントック)」が運営する小学校(ヘスス・トラバハドール校)があります。学校の始まりは、カハマルカの市場で荷物運びなどをする子どもに対して、先生が出向いて勉強を教えていたことでした。最初は先生が市場で教え、その後子どもの家に出向いて、仕事をしていない時間に教えるノンフォーマル教育の形を取っていましたが、その後正式な学校になりました。

創立記念日の各クラスの出し物。伝統的な衣装を着てダンスをするクラスが多いです。校庭のコンクリートは市の予算を獲得して敷きました。雨期には土だとぬかるむせいもあり、コンクリートの校庭の方が好まれるようです。

 カハマルカに長年住むドイツ人の神父の方を通じたドイツからの支援により、校舎を設立し、現在では5クラス(5・6年生は1クラス)120人が学んでいます。学校が始まった当時は、子どものニーズは仕事と勉強の両立でしたが、現在のヘスス・トラバハドール校ではむしろ、一般の公立学校でも必要とされる諸経費を払うことが難しいという家計の問題や、留年、発達上の障害等によって、公立学校に通うことの難しい子どもの受け皿としての役割が大きくなっています。

 ヘスス・トラバハドール校には他の学校のような制服がありません。ペルーでは公立小学校も一般に制服がありますが、経済的に貧しい家庭においてはその購入費用も負担となるためです。

ある子どもの通学路。家は農業で生計を立てています。雨が降ると道がぬかるむので、サンダル(オホタ)でズボンの裾をまくって通学しています。
給食の様子

 また、NGOの支援を受けながら一食50センティモ(約15円)で給食を提供しています。家での食事で十分な栄養を取れないため、学校での給食が重要な栄養源となっている子どももいます。ただし給食費を滞納する家庭も多く、たまに保護者がまとめて払いにきます。

 毎朝の全校朝礼や掃除は当番制で、子どもたち自身が学校の活動に積極的に取り組むことが学校の特色の一つです(ペルーでは清掃員が学校を掃除する学校が多い)。

 やんちゃな子、粗暴な子もいて、先生やクラスメイトが手を焼くこともしばしばあります。しかし、おそらく他の学校では受け入れてもらえない彼らを受け入れ、育てていくことを、この学校の先生は重要な使命として日々子どもたちに向き合っています。

いつも周りの子にちょっかいを出してばかりの男の子。文房具を揃えられない子が多く、毎日子どもたちは貸し借りし合っています。彼は借りたものをダメにしてしまったりするので、いつも筆記用具が無いのに友達になかなか貸してもらえません。授業後に一人残って板書を写していました。

 学校には調理室と技術室(主に木工。教員不在により一時中断していたが再開)があります。調理の授業は主に製菓で、各クラス一週間に一回ずつあります。子どもや先生が材料を買いに行き、材料費を計算して、いくらで販売するか決めます。多く作れば近所に子どもが売りに行くこともありますが、大抵は学校の休み時間に子どもや先生が買って、売り切れてしまいます。

お菓子作りの様子

このときはお菓子を入れる袋も作りました。

 カハマルカでヘスス・トラバハドール校を運営する働く子どもの運動マントックは、活動拠点(マントックの家)の一部を宿にし、国内の修学旅行生やボランティア、旅行者を泊めて、宿泊費から自主的な運営財源を作りだそうとしています。宿の運営にはコラボラドール(協力者)と呼ばれる大人や、働く子どもの運動にかかわる中学生やOBが参加しています。コミュニケーションにはスペイン語が必要ですが、マントックの家は街の中心部アルマス広場からも歩いて10分程度、観光地のバニョス・デル・インカ(インカの温泉)へもバスで20分程度です。

 ヘスス・トラバハドール校は先に述べたように、家計の問題、留年その他の事情で他の学校に通えない多様な子どもが通っています。彼らに出会い、彼らを知るために、カハマルカを訪れてみてはいかがでしょうか。

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