私は、2010年3月から2ヶ月半、1週間の約半分をリマの郊外にあるビジャ・エル・サルバドル(救世主の街/以下「ビジャ」)という街で過ごしました。いくつかのNGOなどでボランティアをしたのですが、今回紹介するのはその中でも特にユニークな団体です。そこには、子ども達が運営の中心になっている劇団があります。街の一角に小さな劇場を構えるこの、「アレナ・イ・エステラス」(砂とムシロ/以下「アレナ」)という名の劇団には、毎日小さい子どもから若者、その家族が集まってきます。

■ 子ども達に笑顔とアートを!

「さあ、パサカジェ(音楽にのって街を行進)の始まりだよ!みんな出ておいで!」広場に響き渡るこの声を合図に、色とりどりの衣装をまとった子ども達が、賑やかな音楽にのって、竹馬やジャグリングをしながら街を一周します。それに魅かれて、近所の小さい子ども達が次々と広場に集まります。大きな輪を作り、年上の子どもが幼い子どもに手際よくダンス、ゲーム、工作などを教えていきます。

これを準備しているのは、主に10代の劇団メンバー達。準備、グループ分けから司会、片づけまで全て自分達で行います。彼ら自身、元はきらきら目を輝かせて広場にやってくる子ども達のひとりでした。アレナで活動を続けるうちに、今度は自分が教える立場になったのです。

日が沈むころには、小さな劇場に、10代半ばから20代前半の若者たちが集まり、毎月リマのあちこちで行われるパフォーマンスの練習をしています。その内容は、ペルーの民話を基にした劇、アクロバット、ジャグリング、民族楽器の音楽などを組み合わせた大変ユニークなものです。彼らは、それぞれ学校に行ったり、仕事をしたりしながら練習する時間を作っています。擦り切れた練習靴に、常に機嫌の悪いラジカセ・・・。整っているとは言えない環境で練習しているにも関わらず、彼らはいつも素晴らしいパフォーマンスを見せてくれます。そのクオリティの高さは、ヨーロッパの芸術フェスティバルに毎年のように招待されているほどです。

■ 「アレナ・イ・エステラス」誕生!

 劇団アレナの誕生には、ビジャの歴史が深く関わっています。今では40万人が暮らす大きな街ですが、1971年に砂漠地帯だったこの場所に、貧しい9000世帯が集まり、砂地に柱を立てムシロを壁にして家を建てて移り住んだことから始まりました。(アレナの名前もここからきています。)貧しいながらも住民は協力して、政府のサポートがない中で、街づくりをはじめます。ところが、80年代後半から90年代半ばまで、武装グループがやってきて、街は暴力と恐怖に包まれます。

街を練り歩く「パサカジェ」につられて近所の子どもが集まります。

そんな状況の中で、当時16歳だったアナ・ソフィア・トグチは決心をします。彼女は友達と一緒に、子ども達を恐怖から解放して、笑顔を取り戻すため小さな劇団を始めました。初めは、派手な衣装を着て、太鼓をたたいて街を歩き、フェイス・ペイントや寸劇、ゲームを行うことから始めました。もちろん、プロではない子ども達が活動を続けていくのは容易ではありませんでしたが、彼らの努力と徐々に増えていった協力者の力が、劇団を支えました。ビジャの子ども達は笑顔を取り戻すことができたのです。

その後、活動範囲はペルー各地に広がり、近年では、世界中の団体と技術交換やイベント開催するようになりました。現在、アナ・ソフィアは一児の母となり、自分が劇団を始めた年齢と同じくらいの子ども達と一緒に、成長を続けるアレナで活動を続けています。アレナは2008年には、国から正式に芸術、文化を教える教育機関として認められました。そして今年は18周年(ペルーの成人の年)を迎えたのです。

■ 広がれ!アートの力

衣装や機材は古びていても、パフォーマンスはプロ並みです。

貧しいビジャには文化的な施設がほとんどありません。そのため、心を豊かにする芸術やスポーツ、遊びのように人生を豊かにするものの大切さをコミュニティーや親達から理解してもらうのは難しいことです。それでも、これまで劇団に関わることで、貧困や様々な困難と闘っていける子どもたちが大勢育っています。

私がボランティアをしている間にも、そんな子ども達に知り合うことができました。その一人は私が時々キーボードを教えていたフリオ君。17歳にしては小柄で、12歳くらいに見えます。いつも無口な彼ですが、私を見ると、はにかんだ笑顔をして、ほっぺに挨拶のキスをくれます。彼の育った環境はひどいもので、両親には捨てられ、今もいつでもドラッグが手に入る状況で暮らしています。劇団にいないときは、ギャングの若者達と一緒に街にいることもあります。それを知っている劇団の仲間は、悪いことから離れていられるように、フリオ君を練習に誘っているし、フリオ君も居心地がいいのか、きちんと練習に来ています。

劇団員の一人、ブライアン君は、小さいときにアレナでアートに出会い、人生が変わったと言います。彼は、好きなことを見つけて自分に自信を持つことで、人生に対する姿勢が変わり、学校では生徒会長をするくらい、コミュニティーのことを考えるようになったといいます。現在はグループのリーダーのひとりとして、アレナで活躍しています。

彼らの経験を聞き、アートが子ども達に与える影響力と、貧しくても心を豊かにすることの大切さを実感しました。

■ コミュニティーの未来に向けて

世界のあちこちから声がかかるほど有名になったアレナは、大都市で公演してもっとお金を稼ぐこともできます。それでも、ビジャのコミュニティーのために活動を続けるという理念を曲げていません。アレナがあちこちで行うパフォーマンスのテーマはペルーの伝統的な物語から、貧困問題や差別の問題を扱ったものなど様々で、その中には必ずメッセージがあります。

ここで活動する若者たちは、アートに出会って人生が変わりました。後列中央は文中のブライアン君。

アートという入り口を通して、コミュニティーの人々が社会への意識や主体性を持って欲しいと思っているのです。劇団の建物では、近所の子ども達のためにワークショップを行ったり、学校で環境をテーマにした授業をしたりなど、収益はなくても教育的、社会的に意味があるパフォーマンスを優先して活動を続けています。

暴力の時代に、子どもの笑顔を取り戻すために始まったアレナの活動は、年月を経て、アートを使って子ども達を取り巻く貧困や犯罪などの問題に取り組む活動に変わってきました。今日も、アレナの劇場にはたくさんの子ども達が集まってきます。ここで踊り、演劇をし、友達と笑うことで、子ども達は希望や自分が存在する意味を見つけ、コミュニティーの未来の担い手となっていくのです。

★★岩崎由美子 プロフィール★★

国際交流NGOピースボートのスタッフとして、世界各地を巡る船旅をコーディネートする中で、ペルーの人々の暖かさと強さに魅かれる。2010年3月から2ヶ月半リマに滞在し、シウダー・デ・ディオスやビジャ・エル・サルバドルなどで活動する団体でボランティアを行った。

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