【2025年10月時評】ペルーの現状が子どもたちに与える影響についての考察 ペルーのダニエルより。


ダニエル・サンガマ・パンドゥーロ
1988年ロレト県・イキトス市ベレン生まれ。小さい時から市場やカヌー交通の漕手として働く。大学で情報科学を学ぶ。現在教育省で働く。1児の父。
2022年12月7日、ペドロ・カスティジョ大統領による自前クーデター未遂の結果、副大統領だったディアナ・ボロアルテが大統領になった。
ボルアルテ政権は、政府抗議のデモ行進に参加した市民たちの血と死にまみれていた。
すべての人の権利を求めるデモ行進が弾圧され犯罪視されたことで、未成年者数名が死亡する事態となった。
▶︎ 市民の安全について、ボルアルテは適切に対処できず、これが彼女の解任の要因の一つとなった。みかじめ料を要求する恐喝者が犯した路線バス運転手の殺傷事件は、ペルー社会、特にリマに大きな衝撃を与えた。さらに、恐喝者たちが不当なみかじめ料支払いを拒否する企業家や経営者の事業所や住居に手榴弾を仕掛けるなど、誘拐や暗殺未遂事件も相次いだ。
市民の安全に対する政府の不適切な対応は、子ども達にどのような影響を与えているのか?多くの子どもたちが家族の生計を支えていた父親や親族を失ったため孤児となり、学校に通えなくなった子どもたちもいる。一部の家族は今なお恐喝され続けている。
▶︎ 国の子どもたちへの食糧供給は、国家食糧供給プログラムを通じて行われていたが、地域の役人による汚職や不正な取引が横行していた。わずかな金銭と引き換えに、国内の子どもたちや青少年が被る損害を考慮せずに、不正が実行されていた。
ボルアルテは、カリ・ワルマ計画の汚職事件に関与した大統領報道官など、複数の責任者を他のポストに異動させることでしのいだ。結局、この計画は名称がワシ・ミクナに変更されただけだ。
▶︎ アマゾン地域が洪水に見舞われるという国の危機の最中に、ボルアルテが行った海外視察旅行は、国は平穏で国外からの投資を促す可能性を求めた旅行である、と彼女が繰り返し述べていたことから、多くの市民の怒りを買った。
食料の供給は乏しく、エルニーニョ現象は北部の都市に影響を与えていた。ペルーのアンデス山脈地域で厳しい寒さに苦しむ子どもたち対して、彼らを守る質の高い有効な政策は作られず、毛布や防寒着を配るという一時的な対策しか施されなかった。
▶︎ ボルアルテは、国民議会に議席を持つ政党、すなわちフォルサ・ポプラル、レノバシオン・ポプラル、アバンサ・パイス、アリアンサ・ポル・エル・プログレソ、レノバシオン・ポプラル、ペルー・リブレ、ソモス・ペルー、アクシオン・ポプラルなど、犯罪組織、不処罰、私的利益のために立法活動を行っていた政党と結託していた。
例えば、18歳になった若者が、損失を出すことのない年金基金(AFP)に拠出金を納めなければならないという制度が引き金となった反政府デモ。この基金は、毎月給与から天引きされる市民の拠出金で運営されている。これらの国民に反する規則により、いわゆるZ世代が週末に街頭に出て「全員退陣を」と要求し始めたことで、国民の支持率がわずか2%の議会は結局ボルアルテを解任し、24時間以内に議会議長ホセ・ヘリがペルー大統領職を引き継いだ。ホセ・ヘリ大統領は物議を醸す首相を擁する内閣を組成した。
▶︎ 新大統領はマフィアや恐喝者たちに宣戦布告したが、本人と内閣の信頼性が疑問視される中、市民の信頼は薄い。ましてや議会はボルアルテをその就任直後に即座に解任すべきだったにもかかわらず、彼女を操り人形として利用することを選んだのだからなおさらである。
市民である私たちは、来たるべく選挙においてこれらの記憶を失ってはならない。なぜなら、今日、市場や食堂、丘へと足を運び、権力の座に就くための票を求め始めているのは、まさにこれらの政党だからである。注意が必要だ。これらの候補者にとって、子どもたちに関することは決して優先事項ではない。候補者が計画的に子どもたちを優先する取り組みを含めるよう要求する運動が必要だ。候補者に、子どもたちを優先事項とする取り組みを政策に盛り込むよう要求する運動をしなければならない。そして、子どもたちが大統領、下院議員、上院議員の新たな選挙で目に見える存在となるよう、道を開き、橋を架けなければならない。
2025年10月16日 リマ・ペルー ダニエル

